にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

差別と報道について考えてみた

 

今回の森さんの発言・騒動をめぐってはいろいろとモヤモヤしたので、何がモヤモヤしているのか自分のアタマの中を整理してみたいと思った。

 

まず差別とは何だろう。

自分なりに定義してみると、容姿、年齢、性別、身体的特徴や能力、価値観、ライフスタイル、その他さまざま…つまり「自分と異なる」他者に対して、その「異なる」ことを理由に攻撃や侮辱をすること。という感じだろうか。

 

では差別がすべて社会問題化するかというと、必ずしもそうではないと思える。

 

たとえばネットで誰かが「高身長の人は頭が悪い」という発言をしたとしよう。差別発言には違いない。でもそれが炎上するかといえば、あまりピンとこない。当の高身長の人がそれを見ても、おそらくそれほど腹が立たないからだ。なぜなら高身長なことで良い思いをすることの方がはるかに多いから。

ある意味、その発言主よりも自分が「優位」にいるという感覚がある場合、それほど不快な思いが生まれないと想像できる。

 

では逆に「低身長の人は頭が悪い」はどうだろう。いかにもNGな感じがする。少なくともさっきの「高身長の~」よりも不快な思いをする人ははるかに多いだろう。

 

そう考えると、差別的な言動が問題視される要件としては、その言動の「主」の方が多数派や優位な立場にあること、差別を受ける側が弱い立場にあること、となるだろうか。

 

ただし「優位」や「弱い」というのは、あくまでも相対的かつ抽象的なものであり、人によって判断が異なる曖昧なものでもある。そこも注意が必要だ。

 

今回の森さんの発言に関しては、内容自体が差別的であったことは疑いなく、擁護の余地はないと思える。さらに発言の内容のひどさに加えて、森さんが元総理大臣・有力政治家であるという「強い立場」にあったことが、より大きな炎上につながった。

 

しかし報道の過熱にしたがい、どこかの時点で強者であったはずの森さんと、世の中(マスコミ)の立場が入れ替わった。その結果、いつの間にか少しずつ、マスコミの報道が年寄りや男性に対する逆差別のように見えてきた。弱者となった森さんに対する「いじめ」のように見えてきた。ぼくのモヤモヤの正体は、そういうことなんじゃないだろうか。

 

マスコミの人たちは、立場が入れ替わったことにそろそろ気づいた方がいいだろう。